冬に眠りにつく薪ストーブがある。標高2800m。5月半ばの小屋開けから10月半ばの小屋閉めまで、2台のストーブがオレンジ色の明るい炎で登山客を出迎える「御嶽 五の池小屋」。薪ストーブと共に育ってきたこの小屋を、紀行作家の斉藤政喜さんが再訪しました。
(取材・文・写真=斉藤政喜)
8年ぶりの五の池小屋へ
山岳雑誌PEAKSで『シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記』を連載して13年になる。
これまで取材した山小屋は146軒。連載の取材以外で泊まった山小屋を加えると、160軒を超える山小屋に宿泊したことになる。
日本百名山を踏破した登山者でも100軒の山小屋には泊まらないから、僕のプチ自慢ではあるんだけど、160軒もの山小屋を泊まり歩いていると「ここなら妻も来れる。きっと気に入る」と思える山小屋に遭遇する(家人は高所が苦手だし、登山道を半日以上歩きたくないと口にする。永遠のビギナーなのだ)。
その一つが御嶽山の五の池小屋だ。
小屋までの道はきつくなくて、小屋に到着すると夕陽もご来光も眺められる絶景が広がる。
建物の設備が整っているだけでなく、内装のセンスがよくて、料理もおいしい。
コンパクトな作りで、宿泊者同士が交流しやすいまとまりがあって、ご主人のホスピタリティーも良好。
ビギナーにも自信を持ってオススメできる最良の山小屋である。
その五の池小屋がコロナ禍を機に改装して、薪ストーブも入れ替えてさらに充実した山小屋になったという。
旧知の間柄である主人の市川典司さんに連絡したら「週末は満室だけど、日曜日なら泊まれますよ」とのことなので、梅雨の晴れ間となった6月第1週に五の池小屋へ出かけた。
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五の池小屋へ最短で行ける登山口は、岐阜県側の濁河温泉だ。日帰り温泉もあるから下山後に汗を流せるのがうれしい。
濁河温泉の登山口から五の池小屋までのコースタイムは4時間。登山道の整備は良好で、危険な箇所はほとんどなく、迷う心配もなく歩ける。
道標となる番号札が登山道の適所に設置されていて、五の池小屋まであとどのくらいか、現在地を把握できる。
この番号札は地元下呂市の小学校が集団登山をするとき、引率の教師たちがお互いの現在地を確認するために設置したそうで、小学生でも歩ける登山道なのである。
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整備良好な登山道をゆっくり歩いて五の池小屋に到着。
正面に摩利支天山がそびえ、眼下には残雪の五の池が望める。
この景色を楽しむために小屋の前にはテラスが設置されている。
デッキチェアが並ぶウッドデッキ以外に、防水の畳が敷かれたテラスもあって寝転ぶことだってできる(ラジオ体操が日課の僕は、翌朝6時30分にこのテラスで最高に気持ちのいいラジオ体操を体験した)。
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8年ぶりとなる五の池小屋は外観に多少の変化が見られた。1本だった煙突が2本に増えている。
大規模な山小屋ならともかく、宿泊者数が30人程度の小さな山小屋で煙突が2本並んでいる山小屋は珍しい。僕の記憶では、ここだけだと思う。
頑丈な鉄のアングルを組んで設置されている煙突の姿に、ここが標高2800mの山岳地帯であり、自然環境が厳しい場所であることをあらためて思った。
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雲上の薪ストーブカフェ
小屋に入ると、市川さんが人懐っこい笑顔で僕を迎えてくれた。市川さんは2000年から五の池小屋で働きはじめ、指定管理者となった。五の池小屋に関わって23年になるベテランだ。
独自のアイデアと行動力で、五の池小屋を予約がとれないほど人気の山小屋に仕立てた。
管理人室だった部屋を改装した「雲上の薪ストーブカフェ・ぱんだ屋」がその代表格だが、そこに設置されていた薪ストーブが新しくなっていた。
「クッキングストーブにしたんですよ」と、市川さんがちょっぴりドヤ顔でイタリア製のドミノ8を披露。
モダンなデザインのクッキングストーブを設置した山小屋は珍しい。
でもそのデザインが、センス良くまとまった明るいカフェ・ぱんだ屋には似合っている。
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五の池小屋は薪ストープで焼くピザやケーキが名物になっているが、以前の薪ストーブは調理に苦労したという。
「ケーキを焼くにしても、ピザを焼くにしても、暑くてつらいんですよ。ストーブの前にいられなくなるんです。でもこのクッキングストーブは、扉の前にずっといても大丈夫」
ストーブ本体があまり熱くならないということは、暖房としてはやや劣るのかと思いきや、そうではない。
ストーブ周辺だけでなく、対流によって部屋全体をやんわり温める能力を秘めたクッキングストーブなのである。
ウインドウから見える美しい炎にも感心していると、スタッフがカフェのカウンターにケーキを並べた。
時刻は14時。ぱんだ屋は10時から14時までは日帰り客も利用できるカフェとして営業し、14時からは宿泊者専用のカフェとなる。日帰り客には飲み物だけの提供なのに、14時以降はケーキ屋おつまみセットなどのメニューが加わる。
自分が経営者の立場なら、多くの売り上げが期待できる日帰り客への営業にも力を入れようと思うはずだが、市川さんは考えが異なる。
ケーキ類が売れたら焼くのが大変でスタッフの負担が増えるし、五の池小屋へ泊まりに来た登山者をもてなすサービスを充実させたいと考えている。
宿泊者の特権としてクッキングストーブで焼いたシフォンケーキを注文したが、フワフワの絶品に仕上がっていた。残雪の山を眺めながら、炎のそばでケーキが食べられるぜいたくを実感した。
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夕日と炎が映える薪ストーブラウンジ
シフォンケーキとコーヒーをいただいたあと、昨シーズン改築したラウンジへ上がった。
宿泊者がのんびりくつろげる場にしようと、客室だった部屋をラウンジに改装したという。
市川さんのこだわりは、摩利支天山と五の池の景色が望める大きな窓と薪ストーブだ。
薪ストーブはカフェのクッキングストーブと同じく、都会的なデザインのノルンである。
山小屋の薪ストーブといえばトラディショナルなデザインがセオリーなのに、五の池小屋は別格だ。
モダンなデザインの薪ストーブが似合う空間に仕上げた市川さんのセンスに拍手を送りたい。
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「窓の夕陽と薪ストーブの炎が一緒に眺められる空間にこだわったんですよ」と市川さんは語る。
そのためには、炎が美しく見える曲面フロントガラスのノルンでなくてはならなかったという。
さらに薪ストーブの配置にもこだわった。
部屋の大きな窓と曲面フロントガラスが並ぶ場所にノルンを配置した。室内の煙突が斜めに設置されているのは、窓と並ぶ場所にノルンをレイアウトするための工夫でもある(そのぶん、費用がかさんだそうだが)。
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この日は僕を含めて20名の宿泊者がいた。東京から来たグループは、メンバーのひとりが誕生日とのことで、ラウンジで御嶽山をイメージしたバースデーケーキを自作して誕生会を開いた。
こういうイベントを楽しむにも最高のラウンジである。五の池小屋が女子受けするのも当然だと思った。
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夕食までの間、僕はクッキングストーブの前のイスに座って「小屋番セット」と名前がついたおつまみをオーダーした。チーズの燻製やソーセージなど、五の池小屋で作ったオリジナルのおつまみである。
ビールも注文したら、ワイングラスが用意された。
一般的な山小屋は割れにくいプラスチック製品などを使いがちだが、五の池小屋はケーキなどのデザートにしても、夕食の盛り付けもオリジナルデザインの陶器の皿を使用している。
料理のクオリティは食器にも左右される。
破損しやすくても美しい食器で料理や飲み物、デザートを提供する五の池小屋にホスピタリティの高さも感じた。
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クッキングストーブで作るもてなし料理
夕食も期待以上の豪華なメニューだった。女性グループから「ワーッ!」と歓声が上がり、ほぼ全員がスマホで運ばれてきた料理を撮影した。
トロけるほど柔らかく煮込まれた飛騨牛も、クッキングストーブで焼かれたグラタンも最高においしい。
さらにデザートにアイスクリームが出るものだから(電気が通っていない山小屋なのに)、どのテーブルからも歓声が上がった。
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山小屋とは思えない充実ぶりに大満足のディナータイムとなったが、五の池小屋はそれだけでは終わらない。
食事の片付けも終わって一段落した頃、あらかじめ注文を受け付けていたピザの調理がはじまった。
もちろん自慢のキッチンストーブで焼く特製ピザだ。
薪の熱源で焼かれたピザは都会のレストランで食べてもおいしいけど、ここでは標高2800mの世界で、大自然の絶景と薪ストーブの炎を眺めていただけるのである。
夕食で満腹状態だったが、クリスピーなピザは軽めで食べやすい。ピザも別腹、と考えておいしくいただいた。
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薪ストーブのラウンジは居心地がよくて寛げる空間だから、グループで来た登山者が宴会的に使うこともあるだろう、と市川さんは想定していた。ところが、そうでもなかった。
ラウンジに集う宿泊者たちはソファに腰掛け、物静かに語ったり、ゆったりと時間を過ごす。酒を飲んで騒ぐケースはほとんどないという。
上品なラウンジだから自重しているのかもしれないけど、薪ストーブの火がそうさせているのではないかと、30年近く薪ストーブを使い続けてきた僕は思う。
薪ストーブの温もりと、ウインドゥの中でオーロラのように揺らめく美しい炎は人々の心をリラックスさせる。
夕食どきはかなりにぎやかだった年配の女性グループが、ラウンジのソファに座って物静かに語る様子を見て、薪ストーブの魅力を再確認した。
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翌朝はご来光を拝み、朝食のあとにクッキングストーブで調理した焼き立てのアップルパイを食べた。
すべてに満足いくレベルの五の池小屋。家人を連れてきたい山小屋ナンバーワンだと断言したい。
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